2007年11月 2日 (金)

京都旅行(平安神宮)

京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)

 10月21日のこと、新島襄旧邸を出て丸太町通を東進し、岡崎通から平安神宮に向かう。

平安神宮の社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が8分の5の規模で再現されたものだそうだ。こちらは今回で3回目の訪問となる。

最初に目に入ったのは、応天門(おうてんもん・神門)。二層楼の碧瓦本葺、丹塗りで、高さ19.3m(基壇部分0.9m)の建物。前回訪問、10年位前になるが、そのときはそれほどでなかったアジアからの観光客が大変多くなったような気がする。とくにここでは、大勢の中国人が家族連れで写真を撮影していた。朱塗りの派手に見える建物が彼らに受けるのかもしれない。とにかく、彼らは、陽気で元気、喧しい位だ。何か、中国のパワーを見せ付けられた感じ。

さて、そこから真っすぐ北上すると正面に大極殿(だいごくでん・外拝殿)。寝殿造り、碧瓦本葺、丹塗りで高さ16.7m、桁行33.3m、梁行12mだ。

そして、この大極殿の両脇に連なる、向かって右が蒼龍楼(そうりゅうろう)、左が白虎楼(びゃっころう)で、屋根中央と四隅に望楼を設けた二重閣で碧瓦本葺、丹塗りの建物。

これらは、いずれも明治27年、神宮創建当時に造営されたもの。

大極殿から応手門に向かって左が神楽殿(儀式殿)、右が額殿。入母屋造りの、碧瓦本葺、丹塗りで昭和15年に造営された。

応手門から出て、表参道(神宮通)を南下し、京都市美術館の前辺りの大鳥居を通過。大鳥居は明神形で、鉄筋コンクリート造り、丹塗りの高さ24.2m、柱真真18.2m、柱直径3.63m、笠木長さ33mの大規模なもので昭和4年に建造された。

なお、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まった時代祭が翌日の22日に行われるということで、神幸列に使用される調度、祭具が神楽殿や記念殿の建物の横に出されていた。

朝、京都御苑での時代祭の準備も急ピッチで進められており、祭ムードがいやがうえにも盛り上がる。昨夜京都の友人宅を訪れた時に聞いたところによると、時代祭の数日前から京都は賑やかになるとのこと。残念ながら本日中に家に帰らなくてはならず、機会があれば、是非時代祭を見学したいと感じた次第。

2007年11月 1日 (木)

京都旅行(北野天満宮)

京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)

  北野天満宮、京都で私が最も多く訪れている神社だ。今回で都合7回目。

   平安時代初期、九州の太宰府へ流刑となった菅原道真が亡くなった後、京都では落雷、地震が続いた。これは道真のたたりのせいだと、その霊を慰めるため創建されたのが北野天満宮だそうだ。それがいつしか「天神さん」の愛称で親しまれ、ご存知のように全国の受験生の合格祈願で有名な神社になったのだ。

   私の場合は御利益が薄かったが(いや全く駄目だったのが、御利益があったからこそ、人並みになったのか)、子供たちにはその分厚くと願うのは、罰当たり、かつ親馬鹿だろうか?

  さて、前置きが長かったが、今回、天満宮に入って行ったのは、東門から。門に入って、右斜め前方には境内で最も古い社の地主社。

  左斜め前方には、本殿の周りを囲む回廊の外壁、通路を挟んで反対側に社務所が見える。

   社殿、拝殿の正面側に回ると、鮮やかな彫刻が目を引く三光門がある。後西天皇筆なる「天満宮」の額が三光門に掛かっている。社殿は豊臣秀頼が寄進したもので、拝殿とともに国宝である。

  拝殿に参拝の後、子供に勉強して欲しいとの切なる願いを込めて「勧学御守」を買い求める。三光門を出て楼門の右に目を向けると、算額等の絵馬が多数奉納されている絵馬所が見える。

   楼門を出て、表参道を南下する。参道の松林は、豊臣秀吉が北野大茶会を催したことで有名だ。

  境内のいたるところにある牛の像は、菅原道真が亡くなったのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもの。この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられているところから、いつも人の手で磨かれ、ピカピカに光っている。

   また梅の名所としても名高く、道真の命日にあたる毎年2月25日の「梅花祭」には上七軒の芸妓・舞妓さんによるお茶会が行われるとのこと。是非今度その日に参拝したいものだ。

2007年10月31日 (水)

京都旅行(知恩院)

京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)

   平安神宮からまっすぐ神宮通を南下し、青蓮院門跡を過ぎて少し進むと、左手に浄土宗総本山の知恩院が現れる。

  通りから直ぐの所にあるんじゃないかと錯覚するような、とても大きな三門。木造の門としては世界最大級の三門とのこと。三門をくぐると、急峻な石段が前方に立ち塞がる感じだ。

 石段を上り終えると、視界がぐっと広がるとともに大規模な本堂がどっと迫ってくる感じ。思わず、「すっご〜い」「おおっき〜い」の類の声があまた発せられる。

 まず最初は、法然上人の御影をまつる本堂、御影堂に行く。堂内は4千人が入れる程の広さだそうだ。 本堂でお参りのあと、本堂の外の縁側を東に進むと、南東の角の手前に人だかり。何だと思って近付いて見ると傘のようなものが置かれているよう。これぞ知恩院の「忘れ傘」で、左甚五郎が魔よけに置いたとされるもの。知恩院を火災から守ると信じられているそうだ。

  角を回って縁側を北上し、また北東の角を回って中央付近にクローズされている集会堂に向かう廊下がある。正面先の方に人だかり。そこにあるのは知恩院の七不思議を解説する大きなパネル。抜け雀、三方正面真向きの猫、白木の棺、鶯張りの廊下、大杓子。あとは瓜生石。パネルを見終えて、また本堂の縁側を西に向かい、角を回って南下し、南西の角を回って、東側から縁側を降りる。

  次は方丈庭園。入口のところで、お坊さんが「方丈庭園だけだと400円。方丈庭園、友禅苑の両方が拝観できる共通拝観券だと500円ですが、どちらにされますか?」と聞いて来る。決して後者が得とは言わないが、前者は……だけだと、後者は……両方できると表現することで、後者が得だと潜在的に思ってしまう。流石だ!

  こちらの方丈庭園は池泉回遊式庭園で、背景に東山が迫っており、いい感じ。大方丈、小方丈からは絶えずお経が流れ、なんとも有り難い(テープじゃなく肉声がすごい)。

  次は山亭庭園だ。小方丈の側から山に登って行く感じ。しっとりとした雰囲気のある所で、京都の町並みを一望できる素晴らしい所だ。まさに、絶景かな、絶景かな! 山亭庭園の裏木戸を開けると、一面のお墓。木戸を抜けて北側の奥の大きな墓が千姫の墓で、さらにその奥に濡髪大明神が祭られている。チャリンチャリンと参拝して、今度は反対の南側に。

  まずあったのが知恩院最古の建物、勢至堂で、法然上人終焉の地である大谷禅房の旧跡だそうだ。その後は法然上人の遺骨をお納めしている御廟を参拝して、御影堂の横の方に急な石段を降りて来る。

  喉が渇いたので、御影堂の正面にある、泰平亭。ま、お寺のお土産ショップと言った所で、お客で一杯だ。やっとのことで空いたテーブルを見つけ、自販機で買ったカルピスを一気に飲み干す。

  最後は、その泰平亭の西の方、緩やかな女坂(最初に三門から上がった急な石段が男坂)を下って、友禅苑に行く。友禅苑は友禅染の始祖、宮崎友禅翁ゆかりの庭園で、東山の湧水を配した庭と枯れ山水の庭とで構成され、友禅苑にある華麓庵や白寿庵とが一体となって、ワビ、サビとはいかないが、いい雰囲気を醸し出している。

2007年10月30日 (火)

京都旅行(新島襄旧邸)

京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)

 京都市上京区寺町丸太町上ル松蔭町にある新島襄の旧邸を訪問。1878年9月7日に竣工とのこと。受付で氏名、居住県名を書いて中を見学。

 まずは、門を入って突き当たりが母屋。玄関で靴を脱ぎ、すぐ右の部屋が応接室。奥さんの八重が愛用していたオルガンが直ぐ左手にあり、正面には椅子、テーブルが置かれている。教室、職員室、会議室等と多目的に使用されていたとのこと。監視されている女性に写真撮影は可能かと聞くと結構とのこと。

 洋間の南隣は、茶室の「寂中庵」。新島師の死後、妻の八重が洋室を改造して作ったという。

 次は書斎。新島師が使った机があり、回りの壁一面に書棚がある。書棚には、入っていたと思しき本の写真(絵)が置かれており、洋書が多かったことが伺い知れる。

 書斎の廊下を挟んで北隣が食堂で。さらにその北隣が和風の板張り洋式トイレ。その西隣がお風呂。さらにその西隣が台所。3連のかまどにお釜と鍋がかけられており、右手にはなんと井戸もある。土間でなく板張りの台所に室内の井戸。八重さんは、当時の女性からは羨まれたにちがいない。愛されてもいたのだろう。

 玄関の左奥、ちょうど台所の横あたりに階段があり、上がって直ぐ右が寝室。なんとスプリングのベッドが二つ置いてあり、新島師がハイカラさんだったにちがいない。

 その南隣が居間で、その西隣が寝室。廊下をはさんで北隣が和室。いずれも部屋の角にセントラルヒーティングの吹き出し口がある。

 一階に降りて台所の勝手口から付属室に向かう。新島師の両親の隠居所として作られたそうで、中には新島師の足跡をショーケース展示やパネル展示で紹介していた。

 師は46歳で亡くなったそうだが、その足跡の大きさに思いを馳せる一時であった。

2007年10月29日 (月)

京都旅行(和菓子づくり)

和菓子づくり
和菓子づくり
和菓子づくり
和菓子づくり
和菓子づくり

  京都上京区北野上七軒にある「老松」での京菓子づくり。京菓子とは、有職故実に拠る儀式典礼に用いる菓子、または茶道に用いる菓子とのこと。

  まず職人は絵を描く。そして菓名をつける。抽象的な方がレベルが高く、からごろもが究極だそうだ。また、和菓子は、レシピ通りでなく、その日の天候や周りの様子も勘案してその日にあったものを作るそうだ。

  さて、材料は、棒状の白あん、黄色と焦げ茶色の生地、さらに模様に使う赤と白の生地を少々。白あんは5等分し、黄色と焦げ茶の生地はそれぞれ3等分と2等分。生地は乾燥しやすいということでビニールをかける。また、手に適度な湿り気を持たせ、作業しやすいようにボールには水が入っている。写真は二人分。

 最初に作るのは、葉っぱのお菓子。黄色の生地を少し楕円形にして、その上に赤の生地を乗せて、平たくする。葉脈をへらで描き、白あんを葉っぱの生地で包んでできあがり。

 次は菊の花。黄色の生地を丸く平に広げ、その上に白あんをおいて、小龍包のように包みこむ。てっぺんには赤い生地を丸めてのせる。菊の花びらを、先生は手際よくへらを押し当てるようにして書き込むが、私は上手くいかず線を引く感じ。

  次は、栗。焦げ茶の生地を栗の形にし、その中に白あんを入れて包み込み、お尻の方に白の生地を着けて雰囲気を出す。

  後は自分の好きなものを御自由にと言われ、はたと困る。お昼に松茸御飯を食べたことを思い出し、椎茸風の茸を作ることとする。焦げ茶の生地で茸のかさを作り、その内側に黄色の生地を塗ってへらでヒラヒラを描く。かさに赤い生地を斑点状にのせて独自性を出し、白あんで茸の茎を作る。毒キノコのように見え、家に持ち帰っても、最後迄これが残り、私が口にできるという算段。

  最後は、抽象的なものの方がレベルが高いとの話しが頭に浮かび、何も考えずに作る。何を作ったかわからないが、それもまたいい。

 約1時間で講習は終り。お抹茶を自分でこしらえた和菓子でいただき、残りは老松の菓子箱におさめて、保冷剤を箱にのせ、さらにお店の紙袋に入れて持ち帰る。自分で作ったものが高級和菓子扱いされている様で気分はいい。一人分、税別で2500円なり。店から講習所までが純和風が雰囲気があって良かったし、流石に、食べ物を扱う店だけあって、講習所に入る前に2種類の石鹸で手を洗い、作り始める前には手をアルコール消毒。いい勉強になった。

2007年10月28日 (日)

京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)

京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)

  釜座通の先にある、威厳のあるレトロな建物、それが京都府庁旧館。国の重要文化財に指定されている。 秋の一般公開ということで、10月20日から11月4日まで自由に見学できる(午前9時から午後5時(水、金、土曜日は午後8時)まで)。

  期間中、展示開始日は一様ではないが、源氏物語関連展示、彫刻展、府の現代の名工作品展、アイデアポスト作品展、田中幸子の野菜のぬいぐるみ展などが、2階の各部屋を中心に開催される。

  正面玄関でパンフを受け取り、3連アーチ越しに中央階段がある。階段は京都白川の花崗岩を用い、手摺りには草花の装飾をほどこした大理石が使用されているという。中庭を臨む北面には大きなガラス窓が取り付けられ、吹き抜けの空間はとても明るい。中庭を囲んで廊下が四角に回廊状に通じており、部屋は廊下の外に配されている。

  中央階段から2階に上がり、知事の旧執務室、源氏物語関連展示、ぬいぐるみ展等を見て回った。

  帰りには、入る時に付近の地理案内と旧館の一般公開を教えてくれた守衛さんに礼をいうと、新撰組の京都守護職がここにあったことを示す石碑を見せてくれ、さらに手招きに従って守衛室の後方に行くと大きな四角い石がある。見てみると京都慶應義塾跡の文字。後ろに回って見ると、京都府知事の要請を受けて、福澤諭吉先生が明治7年に慶應義塾を開いたとある。わずか一年の開塾ではあったが、慶應義塾大学のルーツに京都で出会おうとは。なんか、得した気分。

 やはり、流石に京都は国際観光都市。街全体にホスピタリティーがある。守衛さんにお礼を述べ、楽しい気分で、京都御苑に向かう。

2007年10月26日 (金)

京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)

京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)

  清酒「月桂冠」でお馴染みの京都の伏見にある、月桂冠大倉記念館に行ってきました。福井県出身の係の男性から、記念館を案内していただいた。

  最盛期には全国から10人の杜氏が働いており、10月中旬から翌年の3月下旬もしくは4月上旬までの約6か月間、酒蔵で朝、昼、晩、酒づくりをしたそうです。 福井からも杜氏のほか、季節従業員ということで主に奥越から最盛期には約三百人仕事に来ていたとのこと。へ〜ぇ、すご〜い!

  さて、失敗しない甘酒の作り方も聞いちゃった。酒粕を使わずに、麹を使ってご飯粒を少々入れるとのこと。江戸時代には元気のない人には甘酒を飲ませた。それは甘酒にはぶどう糖が沢山含まれており、現代のお医者さんが患者にぶどう糖の注射をするのと同じ理屈とのこと。へ〜ぇ!

  原酒はアルコール度数15度でそのまま飲むと強く当たるが、市場に出す時には、二割水を加えて加熱処理して出すとのこと。再び、へ〜ぇ!

  記念館の展示を見たあとは、展示室の外のカウンターの前で試飲。少し甘めの普通の清酒、少し辛めですっきりした吟醸酒、最後はワインのようなフルーティさが軽く漂う清酒、どれも美味しい。普通であれば、お酒を買って帰るのだが、今宵は友と京のまちで一献傾け、翌日は一日中散策の予定のため、奈良漬けを購入するにとどめた。奈良漬けは掛値なしに美味い。後日、何故、もっと買って帰らなかったのかと家で詰問される始末。しまった〜。

  さて、月桂冠の歴史は、1637年の酒銘「玉の泉」に遡る。勝利と栄光のシンボル「月桂冠」の酒銘を採用したのが1905年だそうだ。創業370年の歴史と伝統を感じた。 現在は、最盛期の昭和50年代の出荷量の半分だそうだ。

 酒は文化、日本の風土の中で生まれ、育まれ、受け継がれてきた日本酒。夜は、日本人としてのDNAが騒いで、一次会はビール、ワイン、焼酎だったが、二次会は清酒一本で決めた。

  この記念館、入館料金が300円とはまことにお値打ち。 辺り一帯が伏見の酒蔵街のいい雰囲気、思い出に残る旅の1ページとなった。

2007年10月24日 (水)

気ままにWALK81(京都編3)

気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
   21日、秋晴れの日中、京都街なかウォーキング。 新島襄の旧邸で30分程度見学したあと、向かうは平安神宮。

  寺町通を南下し、丸太町通に入ったところで道なりに東進する。鴨川の水は綺麗で澄んでおり、川原の公園では多くの人が出ている。ある人は遊び、ある人はくつろぎ、またある人は語らい、ある人はスポーツにと、なんとも楽しそうで、幸せそうだ。

  鴨川を渡ってさらに東進すると、左手に熊野神社。さらに進んで右側が平安神宮。岡崎通から回って平安神宮に入っていく。朱塗りの大鳥居、応天門、大極殿は、優雅でかつスケールが大きく、感心感心。うん十年前の修学旅行の頃を思い出す。他の観光地と異なり、特に中国人、そして韓国人が多いように思う。

  さて神宮の南、京都会館の東の公園では、大勢の人が集まり、ステージ発表、平和の訴え、自然農法産食材で作った料理の即売等をしているようだった。 そこから神宮通を南下する。途中、京都市美術館が左手に見える。

 さらに南下し三条通を通過し、小高い岡に入って行く感じ。右側に商店や民家群、左側が寺院群。 まず現れたのが天台宗三門跡寺院の一つ、青蓮院門跡。門跡とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことだそうだ。境内には大きな楠木もある静かなところだ。

   次が浄土宗総本山の知恩院。木造の門としては世界最大級の三門をくぐり、急峻な石段を登って大きな御影堂、方丈庭園、山亭庭園、友禅苑等を見学。

 神宮通に戻って南下し、次は円山公園。なだらかな丘陵地帯に池泉回遊式庭園が広がり、枝垂れ桜が多く植えられている。園内奥の方には茶店や料亭が点在し、その手前に坂本龍馬と中岡慎太郎の像が置かれている。

  公園の右側上部から大谷祖廟に向かい、親鸞上人が祭られている大谷御廟でお焼香をする。その次が高台寺。北政所が秀吉を弔うために建てた菩提寺だ。青蓮院門跡から高台寺までは、神宮通やねねの道からいずれも東に登って行く必要があり、結構な疲労を感じるようになった。ねねの道や八坂通には人力車が多く走っており、乗りたくなるが、カツプルばかりで、おじさんの自分が乗っている姿を想像して、断念。

  それから八坂の塔を見ながら八坂通を下る。東大路通に出るが、流石に京都駅まで歩く元気はなく、今日のウォーキングはジ・エンド。時刻は15時半。新島襄旧宅を出発して150分で、歩数は13000歩。

2007年10月23日 (火)

気ままにWALK80(京都編2)

気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)

   21日、秋晴れの日中、京都街なかウォーキング。 ホテルをチェックアウトし、午前11時出発。 朝、京都御苑に行った時に蛤御門の変で有名なその門を見忘れたのが悔しく、再度のチャレンジ。

   西洞院通を北上。丸太町通に交差して東にやや進むと釜座通があり、左奥に威厳のあるレトロな建物が見えてきた。近寄って見ると、京都府庁。道が間違っていないか守衛の人に尋ねると、親切に説明してくれ、「府庁旧館が一般公開されているんでどうですか」と誘ってくれた。正面から入って、パンフを貰う。なんと旧館は重要文化財。知事の旧執務室等を見て目的地の京都御苑に向かう。

    下立売通を東に向かい少し進むと目的地が見える。御苑沿いの烏丸通を北上すると、左側に和気清麻呂を祭神とする護王神社。外壁に物語の絵が飾られ賑やかな感じ。

    そこから、少し北上すると蛤御門。中に入って少し東進すると、清水谷の椋の大木。樹齢300年を越えるという。前方には、22日の時代祭の準備が着々と進められている。

    さらに東進して清和院御門から外に出て寺町通を南下すると新島襄の旧邸前に至る。表に一般公開中とあり、受付で氏名、居住県名を書いて中を見学する。見学を終えて時刻は12時半。出発して90分で、歩数は10000歩。

2007年10月22日 (月)

京都旅行(昼食・き乃ゑ)

京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)

Pa0_0360

   20日の昼食は、京都祇園毘沙門町の「き乃ゑ」。純和風の料理旅館で、非常にいい感じ。

 

    Pa0_0364_2まず、最初に出てきたのは、新米の米蒸し(ふかし)。稲穂のまま蒸してあり、情緒は格別。同じ皿に載っているのは、可愛い秋刀魚寿司とこんにゃくの中に秋刀魚?を入れた甘露煮ほかと、別の器には胡麻豆腐。

   次に出てきたのは、鮪とコリコリした鯛のさしみ、さらにはカラットあがった天ぷら。塩をつけて食べるのが美味しい。

   次は、松茸と餅米の団子?の入ったお吸い物。酔いも手伝って団子かどうかも覚つかない。

              次は、白身魚のつみれとかぶの煮物。Pa0_0363

  その次は、茶碗蒸し。さらにお新香と松茸御飯にお味噌汁。

   締めは、デザート。抹茶味の甘味を抑えたプリン?に薄く切った甘い梨を載せ、さらにその上に葡萄。プリンが豆腐のような感じが面白い。たまらない美味しさで大満足。Pa0_0361_5

      コースは昼懐石でお値段は6000円。当然、写真に写っているビールは別。

2007年10月21日 (日)

気ままにWALK79(京都編)

気ままにWALK79(京都編)
気ままにWALK79(京都編)
気ままにWALK79(京都編)
気ままにWALK79(京都編)
気ままにWALK79(京都編)

 今日は、朝の京都街なかウォーキング。肌寒い秋晴れの清々しい朝だ。

  まず、西洞院四条にあるホテルを出て堀川通を北に向かう。堀川通は歩道の幅も広くウォーキングにはもってこい。

  そうこうしているうちに左前方に国宝の二条城。二条城前の駐車場には観光バスが10台駐車している。入城場開始時刻が8時45分だから乗客が宿泊するホテルに駐車出来ないので駐車してるのだろう。

  二条城を過ぎて、さらに北上していると、携帯電話が電池切れ。コンビニを捜して辺りをウロウロ。充電しながらメールを打てるようコード付きのものを購入。暫くして、東に向かう頃かとお日様の見える方面に向かいKBS京都の横を過ぎ、平安会館前を通って中立売御門から京都御苑に。

 縣井、京都御所、仙洞御所、厳島神社、宗像神社、閑院宮邸跡等を回って御苑を出て、東洞院通を南下し、途中で西に向かい烏丸通に入ってさらに南下。

 途中、京都国際マンガミュージアムを通過し、暫く進んで西に入ると与謝蕪村が晩年住んでいたところ発見。なんか得した気分でホテルに入る。このコースの所要時間は140分で、歩数は14300歩。

2007年10月20日 (土)

京都旅行(東福寺)

京都旅行(東福寺)
京都旅行(東福寺)
京都旅行(東福寺)
京都旅行(東福寺)
京都旅行(東福寺)

 今日は、久々の京都。最初は東福寺。京都市内紅葉名所ビッグ3に数えられる。山内に25もの搭頭を有する臨済宗東福寺派の大本山で、東大寺の東と興福寺の福をとって名付けられたとのこと。

  通常は名勝の通天橋を回るところであろうが、カエデは色づいておらず、また時間もないので、方丈庭園のみを鑑賞。苔と敷石の簡素なつくりがとても良い。

  次は本堂、中は立入禁止。次はトイレの東司、さらに、三大山門に数えられる国宝の「三門」。その後は浴室。禅宗伽藍では現存最古のもので、水風呂ではなく、蒸気で垢をおとすそうで、今の「サウナ」といったところか。 あとは他の東福寺の搭頭の退耕庵、同聚院、霊雲院、光明院、竜吟庵などをまわり昼食に向かう。

2007年10月17日 (水)

気ままにWALK78(皇居外苑・内堀通り編)

気ままにWALK78(皇居外苑・内堀通り編)
気ままにWALK78(皇居外苑・内堀通り編)
気ままにWALK78(皇居外苑・内堀通り編)
気ままにWALK78(皇居外苑・内堀通り編)
気ままにWALK78(皇居外苑・内堀通り編)

 今日は、東京街なかウォーキング、皇居外苑・内堀通り編。

  まず、赤レンガの東京駅を出て真っ直ぐ道なりに皇居方面に。行幸通りを進んで皇居外苑に入る。芝生広場が広がり、昼時の今、めいめいが、散歩、昼寝、ランチなど自分の時間を楽しんでいる。

 さらに進んで内堀通りを横断。この辺りははとバス御一行も含め、観光モード。時折、ランナーが両方の雰囲気を突き破るように駆けていく。 東京には若かりし頃6年間住んでいたが、この辺りに来るのは中学の修学旅行を含めて今日で3回目。新鮮な光景に映る。 右前方には桜田二重櫓、奥に進んで小さく見えるのが桔梗門。

  そこから南下して西に見えるのが坂下門。右奥のレトロな建物が宮内庁か。

  さらに南下して西に見えるのが二重橋、その奥が伏見から移築したという伏見櫓。二重橋の手前が石橋、奥が鉄橋だ。

 また、 さらに南下して見えて来るのが、かの有名な桜田門。楠公の像は時間がなく回れなかったが、以上が皇居外苑の主要なものだ。

  桜田門の内堀通りを挟んで正面には、上空から見るとアルファベットのAの形をした警視庁、内堀通りにT字交差する桜田通りを挟んでその隣が、レトロな感じがたまらない法務省がある。

  内堀通り沿いに進むと、左に国会議事堂、さらに北上すると最高裁判所がある。しばらく歩いて国立劇場を越してから、半蔵門の前で新宿通りに入って、左折し目的地の平河町に。

  内堀通りの歩道で多くのランナーがかなりのスピードで走ってくるのには、正直言って驚きだ。ジョギングは数人しかいない。ふらふら歩いていると、自転車が通過する感じ。こうやってメールを打ちながら歩くのは危険だ。遠慮しながら歩く。きっと、ランナーの練習コースとなっているのだろう。このコースの所要時間は60分で、歩数は6000歩。

2007年9月15日 (土)

JR九州の列車(かもめほか)

JR九州の列車(かもめほか)
JR九州の列車(かもめほか)
JR九州の列車(かもめほか)
JR九州の列車(かもめほか)
JR九州の列車(かもめほか)

 先日、博多と佐賀の往復に白い「かもめ」に乗りました。白かもめは、通常の特別急行に比べ、設備が少し豪華、デザインがいい、新幹線のグリーンじやないのに客室乗務員がいるなど。

 設備の点では革張りのシートと荷台が飛行機のようなカーゴ型になつていること。デザインの点では2枚目の写真のように、デツキが丸みを帯びた空間構成がなされ、〝書パネル″が飾られている。なんと正面の丸いところ、「凧」の奥がトイレ。ちっともトイレらしくないのだ。右手手前、凧の字が反対に映っているところが、電話室だ。この列車に乗っているとなんともウキウキしてくる。

 3枚目のフォトは「ツバメ」鹿児島の方に行くという。ダークグレーで精悍な感じ。

 4枚目のフォトは「みどり」佐世保行きで、シルバーの「かもめ」と連結されている。間にハウステンボス号が入ることもあるという。車両の真ん中で、A(指定)とB(自由)の二つのコンパートメントに別れているのが珍しい。

 5枚目のフォトがシルバーの「かもめ」肥前山口で、「みどり」と分離され、長崎に向かう。かもめの左の青い車両が「ソニック」で、日豊本線を走る。

 JR九州で、心憎いのが、博多の方に向かう長崎本線、佐世保線の列車は、佐賀駅からは指定券がなくても空いている指定席に座れるということ。確かにこの路線の乗客は多くデッキ等に相応の人が。残り2駅、空いている席は顧客サービスの観点からも有効活用すべきだ。

駅弁紹介2+鉄板焼き

駅弁紹介2+鉄板焼き
駅弁紹介2+鉄板焼き

    博多駅弁寿軒の「博多釜飯」と博多名物「シウマイ」を食べました。 博多駅で列車待ちでお土産屋さんを物色していたら、その横が弁当屋さん。昔、北周りで上京の際、横川駅の釜飯弁当や高崎駅のダルマ弁当をよく食べた記憶が。

    釜飯の中味は、鳥のスープで炊きこまれたご飯に、海老、錦糸玉子、竹の子、栗、ごぼう、うずらの茹で玉子、蓮根、椎茸、鶏身、銀杏、奈良漬けなどが配されている。具を別途味付けすると具の味が濃すぎてご飯とマッチしない場合が往々にしてあるが、この釜飯は上手く合っている。値段は750円。

    次は同じく寿軒の博多名物「シウマイ」。”名物”という言葉に弱く、ビールのおつまみもかねて購入。20個入って500円はお値打ちだ。ただ、惜しむらくは食べるまでに時間がかかりすぎた。博多駅で買い求めてから1時間半も経過してしまい、反省しきり。m(_ _)m。

    話し変わって、博多天神の確か、鉄板焼き「のんべえ」(?)で13日夜、食べた鉄板焼きキャベツと豚肉を鉄板で焼いたもの、博多名物という。鉄板焼き以外のメインメニューはない、鉄板焼き専門店か?

  食べるときは、鉄板の左側の底に1.5CM角で長さ5CMくらいの棒を挟み込み、油を右の方に集める(右利きの場合か)。その油に唐味噌を溶けこませて、タレを作って食べる。

  豚肉も歯ごたえがあり、牛肉のステーキのよう。1.5人前で1000円。ご飯大が200円、味噌汁100円、生ビール2つ1000円のしめて2300円。唐味噌を入れ過ぎとても辛かったが、おいしかった。お腹も張って、満足、満足!!

2007年9月14日 (金)

気ままにWALK57(博多編2)

ままにWALK57(博多編2)
ままにWALK57(博多編2)
ままにWALK57(博多編2)
ままにWALK57(博多編2)
ままにWALK57(博多編2)
 今朝も博多の早朝ウォーキング。雨に備えて折りたたみ傘を持つ。さすがに、午前5時では真っ暗だ。 ホテルを出て昭和通りを西に向かう。昨夜、鉄板焼きの店の兄さんに確認したところ福岡ドームまでは歩いて1時間位とのこと。昨日よりも30分早く出発することとなった次第。 この時間でも屋台では後片付けしながら飲食をしている。ご苦労様。

 2、3日市内を歩いていて気が付いたのは、深夜、早朝に大通りに停車しているタクシーの多くが後部座席のドアを開けて客待ちしていること。また、自転車を利用する人が多ちょっとしたところに有料駐輪場があること。ところが変わればイロイロか。

  昭和通りを歩くこと42分、樋川のところで河口に向けてドーム方向の矢印。案内に従い川に沿って下る。途中、警察官が一定間隔毎に警ら。秋篠宮ご夫妻の行啓があるのだろうか?

  5時51分には国立病院九州医療センターに到着。54分には福岡ドームと、隣接のホテルSEA HAWKの全景が。その手前の広場も南欧的(?)でとてもお洒落。ホテルの形状も面白い。この辺一帯が非日常だ。圧倒的存在感のドームの北側に出て博多湾を一望。

  ドーム横を流れる菰川に沿って南下し地行橋を渡る。毎朝ウォーキングをしているという地元のおじいさんと話しをしながら前に進む。大濠公園に行くとのこと。おじいさんとは妙法寺の観音様のところで別れ、足を延ばして西公園に。西公園をくるくる歩いてどこを歩いているのか分からなくなり、大濠公園行きを諦める。ふらふらと進むと、なんとまあ、また妙法寺。観音様のお導きと、先のおじいさんの向かった方向に。

  川のところまで来ると森が見えて来た。公園を進むと、池の中央に中洲がある。素晴らしい風景だ。一周約2KMだそうで中洲を通ってショートカットを試みる。23日にシティマラソン福岡が開催されることもあるのかも知れないが、ランナーがやけに多い。周遊コースも衝撃吸収できるような素材が使用されているようだ。ランニングにウォーキングにとても恵まれた環境だ。

  時刻は7時25分。時間も余りなく疲れもあり、市営地下鉄空港線に乗り、ホテルに。所要時間2時間35分、歩数は約17500歩。

佐賀に行ってきました3

佐賀に行ってきました3
佐賀に行ってきました3
佐賀に行ってきました3
佐賀に行ってきました3
佐賀に行ってきました3

 佐賀城本丸歴史館の次は、早稲田大学創設の大隈重信の旧宅記念館だ。約二百年前に建てられた藁葺木造の平屋家屋で二階を重信侯の勉強部屋として増築したとのこと。残念ながら私が訪れたときには閉館となっていたので遠景を二枚。

  次は、佐賀市歴史民族館で、旧古賀銀行の建物、古賀家居宅など。写真は旧古賀銀行で、カフェが入っており、大正ロマンを体感できるとのこと。道路が狭く全体像がわかりにくいので、正面と左側からの写真を二枚。

  佐賀駅に戻る途中で偶然見かけたのが武家屋敷の門。屋根も苔むし、門全体がやっとのことでバランスを保っているのがなんとも言えずいい。

  佐賀市内を歩いていて気が付いたのは、公共施設等で、ブロックの間に芝生を植え込んだ駐車場が多いこと、透水性アスファルトが結構使われていることがわかった。環境への配慮が感じられる。

  佐賀の記録の最後として、地元の人から聞いたことをひとこと。がばい」は副詞で「すごく」という意味だから、今、話題となっている「がばいばあちゃん」という使い方は本来しないとのこと。ただ、日本語は融通性の高い言語であり、みんながこう使っていけばこれが正解となってしまうのだろう。

2007年9月13日 (木)

佐賀に行ってきました2

佐賀に行ってきました2
佐賀に行ってきました2
佐賀に行ってきました2
佐賀に行ってきました2
佐賀に行ってきました2

 松原神社の次は、前の道路を挟んだ大きな掘の南西にあるちょっとレトロな雰囲気の建物。佐賀県庁本館だ。県庁に面するお堀端に大きな楠が。市内には、大きな楠がなんと多いことか。先の神社、県庁前、その横の県立図書館など。もしかして県木が楠だったりして。

  そこから佐賀城本丸歴史館に向かう。途中、焼き物プランターにポーチュラカの花をパシリ。こちらは、大きな鉢型。駅前の方は大皿型だった。同じ道路延長上だが、プランターが一様でないのがよい。

  佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城。かつては幾重にも外堀を巡らし、城が攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていた。ゆえに「沈み城」とも呼ばれたとのこと。

  本丸歴史館の最初は重要文化財の鯱の門。次は本丸歴史館。最後は天守台跡横の門から外に出てバシリ。(続)

佐賀に行ってきました1

佐賀に行ってきました1
佐賀に行ってきました1
佐賀に行ってきました1
佐賀に行ってきました1
佐賀に行ってきました1

 がばい、佐賀に行ってきました。街なかの商店等の店先には、「祝佐賀北優勝」「佐賀北高、感動ありがとう」といった横断幕や大型の紙短冊が掲示されており、未だ甲子園の感動覚めやらない感じ。

 駅を出て道路を歩いて気が付いたのは、大きな焼き物のプランターにポーチュラカが植わっていること。さすがに、唐津焼き、伊万里焼きを擁する佐賀県。花については様々な色の可憐な花を付けるポーチュラカを採用することは異論のないところだが、多肉系で乾燥に強いことも理由としてあるのかも知れない。或は、市の花だとか、全国総体のイメージフラワーになったのか、理由は謎。分かる人がいたら教えて下さい。m(._.)m

 さて、最初に訪れたのは、JR佐賀駅から南へ1Km余りの「佐嘉神社」。祭神は、江戸末期の第十代藩主の鍋島直正公で、明治六年、松原神社・南殿に祀られ、昭和八年佐嘉神社として別格官幣社となった、比較的新しい神社。

  次はその隣にある「松原神社」。藩祖鍋島直茂とその先祖を祀っている。恵比須様も鎮座されている。市街地にあるのに静かで、ゆったりとした神社だ。神社の北と東は松原川が流れ、緋鯉が悠々と泳いでいる。とてもいい感じだ。川沿いに神社の東側に回ると洋館みたいな建物。アンバランスが面白い。時間がないので境内に戻って確かめられなかったが、トイレのような感じだった。(続く)

気ままにWALK56(博多編)

気ままにWALK56
気ままにWALK56
気ままにWALK56
気ままにWALK56
気ままにWALK56
   今朝は博多の早朝ウォーキング。天気が下り坂と予報にあったが、そのためかどうか、5時半では真っ暗だ。

    ホテルを出て天神三丁目に。地下鉄にの出口には百円の有料駐輪場。昨日佐賀駅でも見かけたが、この辺の繁華な駅では普通なのか?

  昭和通りを道なりに進むと、突然道路清掃車が来て車道の路肩を綺麗にしていた。そういえば、長浜ラーメン等の屋台の洗いもの等の排水を車道の雨水排水桝に入れていたことを思い出した。ハハーン、だけど毎日は大変だ。

    さらに進んで那珂川を渡って川沿いに下る。43分位には回りが少し明るくなって来た。6時少し前には河口に到着。

   福岡都市高速道路の高架をくぐり港沿いに北に進むと、ベイサイドプレイス博多埠頭だ。平成3年か4年にここを訪れた時はオープン間もない時で賑わっていたことを思い出す。

 べイサイドの海(博多湾)をはさんで対面に見えるのが、マリンメッセ福岡。確か前にこの地を訪問した時にこのメッセの建設計画を聞いたことを思い出す。

 博多湾を見ていると磯の香とともに、海鳥が悠々と泳ぐのと、時たま魚が跳びはねるのが見える。ボーンという汽笛の方を見ると大きな船がまさに港に入ってくるところ

 辺りを散策して、福岡国際会議場、福岡国際センターを通過し、那珂川を渡って帰路に。最後に天神をうろついてホテルに着いたのは7時10分。このコースの歩数は約9000歩。

2007年9月 1日 (土)

武雄温泉に行って来ました2

武雄温泉に行って来ました2
武雄温泉に行って来ました2
武雄温泉に行って来ました2
武雄温泉に行って来ました2
武雄温泉に行って来ました2

 武雄温泉の一番の名所といえば、国の重要文化財に指定されている楼門だ。まずは、旅館に入る前にパシャ。

 旅館に入って、お酒をいただきながら食事のできるいい店はないかと尋ねると、「福太朗」がいいとの答え。右往左往しながらやっとのことで目的地に到着。福太朗は地元の客で一杯で、入口で待つていると、常連客が気を利かせて二組も席を立つてくれた。お客とお店の信頼関係が出来ていると思わず感心。 メニューを開いて、晩酌セットを注文。生ビールに枝豆のほか、お任せのつまみが六品。確か千二百円余り。あとはビールのお代わりと焼き魚(しぐれ)、天ぷら盛り合わせ。揚げ出し豆腐、芋焼酎のオンザロック、ざるそば。

 満足して店をでて外に何かないかと街を徘徊。 宿に近くなつたところで、例の楼門の奥が明るく、自家用車も一杯駐車してあるようだ。門をくぐって元湯の受付に行くと24時まで空いているとのこと。今からでも汗を流せると思うと元気が出る。

  その際目に留まったのは「ちゃんぽん」の文字。そこは楼門のまさにその中で営業している「龍神亭」というお店。楼門の中の左側に掛かった暖簾をくぐって、ちゃんぽんとビールを注文。店の主人にいつから営業してるのかと聞いたら、8年前から。前は物置きだったのを人が入って管理した方が長持ちすると考えたんでしょうとの素朴な答え。人が一杯集まる元湯のそば、それも重要文化財の中で営業してるだけあって味はまあまあ。私も連れも大満足。

 太鼓腹になったところで、次は腹ごなしの元湯だ。急いで宿に帰り着替え等を持って元湯へGO!! 入口の受付には、おじいさんと二人の女性。券売機で三百円の入場券を買っておじいさんに渡して中に。レトロでノスタルジックな雰囲気が堪らない。湯舟はあつ湯(44〜45.5度)ぬる湯(42〜43度)の二つ。当然私はあつ湯。茹で蛸状態であったが、肌はつるつる。すっかり疲労から解放されぽかぼかと身体の芯からあったまっているって感じだ。 武雄温泉の源泉は51度の単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)だ。お風呂も、元湯のほか、重要文化財の武雄温泉新館、鷺乃湯、家族湯がある。

 夜の11時になっても若い女性も含め地元の人が次から次へと入りに来る。 近年、ハイテクのお風呂が持て囃されている中で、この集客は異様とも言える。温泉以外の何かが街の人の心を掴んで離さないのだろう。今回の旅は、がばいばあちゃんの心意気と明治・大正時代を彷彿させる優しい雰囲気に触れることのできた、素晴らしいものでした。是非、今度は家族湯の殿様湯に入って見たいものだ。

2007年8月31日 (金)

気ままにWALK49(がばいばあちゃんの里、武雄)

気ままにWALK49(がばいばあちゃんの里、武雄)
気ままにWALK49(がばいばあちゃんの里、武雄)
気ままにWALK49(がばいばあちゃんの里、武雄)
気ままにWALK49(がばいばあちゃんの里、武雄)
気ままにWALK49(がばいばあちゃんの里、武雄)
 今朝は、曇りの日武雄温泉ゆけむりウォーキング。 まず、旅館を出て向かったのは、武雄温泉の楼門。夜見るのとはやはり印象が違って清楚に見える。ノスタルジックな雰囲気の武雄温泉新館もパシャ。

  東北に向かって、次は長崎街道物語『宮野町夢本陣』本陣風に宮野町公民館、公衆トイレが建てられ、奥には駐車場。武雄市内に江戸時代、西洋文明に通じる唯一の道、長崎街道が7㎞余り走っていたそうで、敵の侵入を難くするために、カギ型になつている道、道標、案内板が散見される。シンボル的な分かりやすいものが少ない中でこの夢本陣の果たす役割は大きいと感じた。

  次は、南東に進んで工事中の新幹線高架線路を横断。駅部分は急ピッチの工事中だが、高架については駅部以外は散策路として整備完了。さらに市役所の東西に面する道路に沿って東に向かうと昨日降り立つた武雄温泉駅。20年春武雄温泉新駅オープンとのこと。完成予想図をパシャ。駅を南口から北口に抜ける。朝6時半というのに大勢の高校生。きっと朝の部活だろう。

  それから駅の北西に進み、昨夜徘徊した夜の町をジグザグに歩行して宿に戻る。 とにかく、この町を歩いていて思ったのは、新たに舗装し直してるところと、温泉街の小路に透水性のアスファルトが多く使用されていること。

Pa0_0001 それと、駅、元湯、旅館、ホテル、飲食店などなど、人の集まるとこかしこに『がばいばあちゃん』に関連するちらしやグッズ、お土産が置かれていること。なんか、佐賀県民の一途な逞しさを垣間見た思いだ。

 古川佐賀県知事の話によると、フジテレビのドラマのロケがこの武雄で行われたこと地元のおばあさんたちが「がばいばあちゃん」としてボランティアでPR等の活動を活発に行っていることから、武雄が「佐賀のがばいばあちゃんの発祥の地」のようになっているとのこと。 汗まみれになったこのコースの歩数は、5200歩。

2007年8月30日 (木)

佐賀武雄温泉に行って来ました1

佐賀武雄温泉に行って来ました1
佐賀武雄温泉に行って来ました1
佐賀武雄温泉に行って来ました1
 芦原温泉駅で特急雷鳥に乗り、新大阪駅で新幹線のぞみに乗り換え、博多駅で特急みどりに乗り換えて、武雄(たけお)温泉駅に到着。所要時間は6時間41分、うち53分は乗り換え待ち時間。

  博多駅で乗り換え待ちをしながら、オシリでつながる、長崎に向かう『かもめ』と佐世保(武雄温泉はこちら)に向かう『みどり』のみどりをパシャリ。その時、みどりでは弁当の販売、車内販売はないとの駅のアナウンス。車内で弁当を買い求めようとしていた私は慌てて、ホームからコンコースの方に。

  売店に残る弁当は僅かに3つ。横のお客もどちらにしようかと思案中。後ろにもお客が。普段だったらここで空腹に任せてなんでも良いから購入してしまうのに、今日は良い虫の報せ。確か売店に来るまでに、地下のお土産売り場に通じる改札口があったはず。戻って駅員に頼んで土産物売り場に出してもらう。

 流石に、博多。辛子明太子の売り子の攻勢が厳しい。発車まで残り十分。焦りながら攻勢を摺り抜け、弁当屋さんを探索。炊き込みご飯とおにぎり中心の店、いろんな弁当が置いてある店、ここらでいいかな、と思いつつ先を見ると女性客が結構並んでいる店がある。

  覗いてみると中華弁当の店。店の名前は玪玪。いろんな弁当、惣菜があるが、店名を冠した「玪玪弁当」を注文。 中味は、エビチリ、肉団子、スブタ、茄子のぴり辛炒め、五目野菜炒め、挽き肉のレンコン挟み、白身魚の団子のフライ、ミニトマト、お新香、それにスープで、トータル682円なり。あんかけがほとんどだが、美味しくチョー安いのに豪華。大満足でパシャ。

  みどりに乗って驚いた。車両が真ん中でA、B二つに別れている。どちらかに乗ろうか!番号で区分けされてAの方にのること1時間10分弱で武雄温泉駅に到着。

  武雄温泉駅南口を出ると、高架線路の工事中。回りの人に聞くと西九州新幹線の工事で、武雄温泉駅もできるとのこと。駅前は大人しい感じがして、どこに温泉街があるのかな、探索は夜に譲って、仕事、仕事。ただ、目についたのは、佐賀北優勝祝賀の民家の玄関先の短冊。元気を有難う佐賀北!!

2007年8月28日 (火)

さいたまスーパーアリーナに行って来ました

さいたまスーパーアリーナに行って来ました


さいたまスーパーアリーナに行って来ました
さいたまスーパーアリーナに行って来ました
さいたまスーパーアリーナに行って来ました

さいたまスーパーアリーナに行って来ました

    8月24日、東京から京浜東北線でさいたま新都心へ。快速で43分の距離。埼玉に降り立つたのは、学生時代に友人の家に遊びに行って以来、二十数年ぶり。全くの不案内の土地に来た気分。

   まずは、駅の西側に出る。駅コンコースは蒲鉾型。遠目からみるとインテックス大阪のアーチ型モニュメントを思い出す。コンコースを出て右側前方には、さいたまスーパーアリーナが見える。また進行方向には、けやき広場が広がっている。フリーマーケット、ストリートパフォーマンスなどいろんなイベントが開催されているようだ。

    その広場の中は、結構背の高い、けやきが220本、人工地盤に植えられていて、日光を適度に遮断。壁がなく、風が通り抜けるので、結構涼しい。また広場の中には、規則正しく四角い椅子兼テーブルが並べられており、そこで、休憩したり、弁当を広げたり、話をしたりと、利用者それぞれの独自空間を形成している。なお、けやきは埼玉県の木だそうです。

  けやき広場を南北に抜けると、正面さいたまスーパーアリーナ。スーパーアリーナは、コンサート、集会、見本市のほか様々なスポーツイベントに利用できる多目的施設で、NHK文化センター、トレーニングジム、レストラン、ジョンレノンミュージアム、ショツプなども入居する複合施設でもある。特に、巨大な可動壁に、可動床、可動席、可動アリーナ天井などの設備で、いろんなパターンの空間を構築できるのが素晴らしいと思う。最大収容人員はスタジアム形式で37000人という。

  今度時間がたつぷりあるときに、有料ではあるがさいたまスーパーアリーナツアーに参加するとともに、ジョンレノンミュージアムに是非寄ってみたいものだ。

2007年8月26日 (日)

草加松原に行って来ました

草加松原に行って来ました
草加松原に行って来ました
草加松原に行って来ました
草加松原に行って来ました
草加松原に行って来ました
   東武東上線の北春日部行きに乗り松原団地駅を下車。駅の東側(綾瀬川側)に出て草加市伝統産業展示室に向かう。

    駅を降りて気にいったのは、道路両側の結構広い歩道に、丸太を切り抜いてプランターを埋め込み、延々と百代橋の交差点まで花を植えていること、道路は薄いダークグレーの透水性のアスファルト舗装で柔らかい感じがすること。地下水涵養にもいい。

   次は、草加松原。「日本の道百選」にも選ばれている道で、江戸時代、日光街道有数の宿場として発展した「草加宿」の千本松原として、また、芭蕉が奥の細道として結実する旅の、出発地点、深川からの最初に宿泊した宿場として有名である。本来なれば俳句でもひねるのであろうが、時間がない、残念(助かった?( ̄▽ ̄;))

 最後は伝統産業展示室。草加の伝統産業品は、煎餅、皮革製品、浴衣で、歴史的なことも含めてわかりやすく、解説、展示している。展示室には煎餅の手焼き機にスイッチが入れられ実演を待つだけとなつたが、即売にお客の大群が押し寄せたため実演休止の状態。実演コーナーのバックは、とってもでっかい『お煎餅』。ただ私の興味は、お煎餅、(*^o^*)。のり巻き、ピーナッツ、唐辛子、胡麻、砂糖、サラダ味などなど、いろんなお煎餅。私は、醤油の香と味を最大限味わえる普通のが好き。

  市の文化センターからこの展示室に入るところにハープが展示してある。聞けば、市は「音楽都市宣言」をし、毎年11月下旬にはハープの祭典「国際ハープフェスティバル」を開催しているとのこと。福井県が国内唯一のハープ産地であり、県内各地でハープコンサートが開かれていることもあり、非常に親近感を覚えるのでした。

  いよいよ、時間に黄色の点滅ランプ。次に草加に来る時には、千本松原を端から端まで、草加の街もぶらぶら歩いて、芭蕉翁の銅像を見ながら俳句をひねり、煎餅屋さんで焼きたてのお煎餅を食べようと心に誓う私でした。