2007年11月 2日 (金)

京都旅行(平安神宮)

京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)
京都旅行(平安神宮)

 10月21日のこと、新島襄旧邸を出て丸太町通を東進し、岡崎通から平安神宮に向かう。

平安神宮の社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が8分の5の規模で再現されたものだそうだ。こちらは今回で3回目の訪問となる。

最初に目に入ったのは、応天門(おうてんもん・神門)。二層楼の碧瓦本葺、丹塗りで、高さ19.3m(基壇部分0.9m)の建物。前回訪問、10年位前になるが、そのときはそれほどでなかったアジアからの観光客が大変多くなったような気がする。とくにここでは、大勢の中国人が家族連れで写真を撮影していた。朱塗りの派手に見える建物が彼らに受けるのかもしれない。とにかく、彼らは、陽気で元気、喧しい位だ。何か、中国のパワーを見せ付けられた感じ。

さて、そこから真っすぐ北上すると正面に大極殿(だいごくでん・外拝殿)。寝殿造り、碧瓦本葺、丹塗りで高さ16.7m、桁行33.3m、梁行12mだ。

そして、この大極殿の両脇に連なる、向かって右が蒼龍楼(そうりゅうろう)、左が白虎楼(びゃっころう)で、屋根中央と四隅に望楼を設けた二重閣で碧瓦本葺、丹塗りの建物。

これらは、いずれも明治27年、神宮創建当時に造営されたもの。

大極殿から応手門に向かって左が神楽殿(儀式殿)、右が額殿。入母屋造りの、碧瓦本葺、丹塗りで昭和15年に造営された。

応手門から出て、表参道(神宮通)を南下し、京都市美術館の前辺りの大鳥居を通過。大鳥居は明神形で、鉄筋コンクリート造り、丹塗りの高さ24.2m、柱真真18.2m、柱直径3.63m、笠木長さ33mの大規模なもので昭和4年に建造された。

なお、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まった時代祭が翌日の22日に行われるということで、神幸列に使用される調度、祭具が神楽殿や記念殿の建物の横に出されていた。

朝、京都御苑での時代祭の準備も急ピッチで進められており、祭ムードがいやがうえにも盛り上がる。昨夜京都の友人宅を訪れた時に聞いたところによると、時代祭の数日前から京都は賑やかになるとのこと。残念ながら本日中に家に帰らなくてはならず、機会があれば、是非時代祭を見学したいと感じた次第。

2007年11月 1日 (木)

京都旅行(北野天満宮)

京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)
京都旅行(北野天満宮)

  北野天満宮、京都で私が最も多く訪れている神社だ。今回で都合7回目。

   平安時代初期、九州の太宰府へ流刑となった菅原道真が亡くなった後、京都では落雷、地震が続いた。これは道真のたたりのせいだと、その霊を慰めるため創建されたのが北野天満宮だそうだ。それがいつしか「天神さん」の愛称で親しまれ、ご存知のように全国の受験生の合格祈願で有名な神社になったのだ。

   私の場合は御利益が薄かったが(いや全く駄目だったのが、御利益があったからこそ、人並みになったのか)、子供たちにはその分厚くと願うのは、罰当たり、かつ親馬鹿だろうか?

  さて、前置きが長かったが、今回、天満宮に入って行ったのは、東門から。門に入って、右斜め前方には境内で最も古い社の地主社。

  左斜め前方には、本殿の周りを囲む回廊の外壁、通路を挟んで反対側に社務所が見える。

   社殿、拝殿の正面側に回ると、鮮やかな彫刻が目を引く三光門がある。後西天皇筆なる「天満宮」の額が三光門に掛かっている。社殿は豊臣秀頼が寄進したもので、拝殿とともに国宝である。

  拝殿に参拝の後、子供に勉強して欲しいとの切なる願いを込めて「勧学御守」を買い求める。三光門を出て楼門の右に目を向けると、算額等の絵馬が多数奉納されている絵馬所が見える。

   楼門を出て、表参道を南下する。参道の松林は、豊臣秀吉が北野大茶会を催したことで有名だ。

  境内のいたるところにある牛の像は、菅原道真が亡くなったのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもの。この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられているところから、いつも人の手で磨かれ、ピカピカに光っている。

   また梅の名所としても名高く、道真の命日にあたる毎年2月25日の「梅花祭」には上七軒の芸妓・舞妓さんによるお茶会が行われるとのこと。是非今度その日に参拝したいものだ。

2007年10月31日 (水)

京都旅行(知恩院)

京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)
京都旅行(知恩院)

   平安神宮からまっすぐ神宮通を南下し、青蓮院門跡を過ぎて少し進むと、左手に浄土宗総本山の知恩院が現れる。

  通りから直ぐの所にあるんじゃないかと錯覚するような、とても大きな三門。木造の門としては世界最大級の三門とのこと。三門をくぐると、急峻な石段が前方に立ち塞がる感じだ。

 石段を上り終えると、視界がぐっと広がるとともに大規模な本堂がどっと迫ってくる感じ。思わず、「すっご〜い」「おおっき〜い」の類の声があまた発せられる。

 まず最初は、法然上人の御影をまつる本堂、御影堂に行く。堂内は4千人が入れる程の広さだそうだ。 本堂でお参りのあと、本堂の外の縁側を東に進むと、南東の角の手前に人だかり。何だと思って近付いて見ると傘のようなものが置かれているよう。これぞ知恩院の「忘れ傘」で、左甚五郎が魔よけに置いたとされるもの。知恩院を火災から守ると信じられているそうだ。

  角を回って縁側を北上し、また北東の角を回って中央付近にクローズされている集会堂に向かう廊下がある。正面先の方に人だかり。そこにあるのは知恩院の七不思議を解説する大きなパネル。抜け雀、三方正面真向きの猫、白木の棺、鶯張りの廊下、大杓子。あとは瓜生石。パネルを見終えて、また本堂の縁側を西に向かい、角を回って南下し、南西の角を回って、東側から縁側を降りる。

  次は方丈庭園。入口のところで、お坊さんが「方丈庭園だけだと400円。方丈庭園、友禅苑の両方が拝観できる共通拝観券だと500円ですが、どちらにされますか?」と聞いて来る。決して後者が得とは言わないが、前者は……だけだと、後者は……両方できると表現することで、後者が得だと潜在的に思ってしまう。流石だ!

  こちらの方丈庭園は池泉回遊式庭園で、背景に東山が迫っており、いい感じ。大方丈、小方丈からは絶えずお経が流れ、なんとも有り難い(テープじゃなく肉声がすごい)。

  次は山亭庭園だ。小方丈の側から山に登って行く感じ。しっとりとした雰囲気のある所で、京都の町並みを一望できる素晴らしい所だ。まさに、絶景かな、絶景かな! 山亭庭園の裏木戸を開けると、一面のお墓。木戸を抜けて北側の奥の大きな墓が千姫の墓で、さらにその奥に濡髪大明神が祭られている。チャリンチャリンと参拝して、今度は反対の南側に。

  まずあったのが知恩院最古の建物、勢至堂で、法然上人終焉の地である大谷禅房の旧跡だそうだ。その後は法然上人の遺骨をお納めしている御廟を参拝して、御影堂の横の方に急な石段を降りて来る。

  喉が渇いたので、御影堂の正面にある、泰平亭。ま、お寺のお土産ショップと言った所で、お客で一杯だ。やっとのことで空いたテーブルを見つけ、自販機で買ったカルピスを一気に飲み干す。

  最後は、その泰平亭の西の方、緩やかな女坂(最初に三門から上がった急な石段が男坂)を下って、友禅苑に行く。友禅苑は友禅染の始祖、宮崎友禅翁ゆかりの庭園で、東山の湧水を配した庭と枯れ山水の庭とで構成され、友禅苑にある華麓庵や白寿庵とが一体となって、ワビ、サビとはいかないが、いい雰囲気を醸し出している。

2007年10月30日 (火)

京都旅行(新島襄旧邸)

京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)
京都旅行(新島じょう旧邸)

 京都市上京区寺町丸太町上ル松蔭町にある新島襄の旧邸を訪問。1878年9月7日に竣工とのこと。受付で氏名、居住県名を書いて中を見学。

 まずは、門を入って突き当たりが母屋。玄関で靴を脱ぎ、すぐ右の部屋が応接室。奥さんの八重が愛用していたオルガンが直ぐ左手にあり、正面には椅子、テーブルが置かれている。教室、職員室、会議室等と多目的に使用されていたとのこと。監視されている女性に写真撮影は可能かと聞くと結構とのこと。

 洋間の南隣は、茶室の「寂中庵」。新島師の死後、妻の八重が洋室を改造して作ったという。

 次は書斎。新島師が使った机があり、回りの壁一面に書棚がある。書棚には、入っていたと思しき本の写真(絵)が置かれており、洋書が多かったことが伺い知れる。

 書斎の廊下を挟んで北隣が食堂で。さらにその北隣が和風の板張り洋式トイレ。その西隣がお風呂。さらにその西隣が台所。3連のかまどにお釜と鍋がかけられており、右手にはなんと井戸もある。土間でなく板張りの台所に室内の井戸。八重さんは、当時の女性からは羨まれたにちがいない。愛されてもいたのだろう。

 玄関の左奥、ちょうど台所の横あたりに階段があり、上がって直ぐ右が寝室。なんとスプリングのベッドが二つ置いてあり、新島師がハイカラさんだったにちがいない。

 その南隣が居間で、その西隣が寝室。廊下をはさんで北隣が和室。いずれも部屋の角にセントラルヒーティングの吹き出し口がある。

 一階に降りて台所の勝手口から付属室に向かう。新島師の両親の隠居所として作られたそうで、中には新島師の足跡をショーケース展示やパネル展示で紹介していた。

 師は46歳で亡くなったそうだが、その足跡の大きさに思いを馳せる一時であった。

2007年10月29日 (月)

京都旅行(和菓子づくり)

和菓子づくり
和菓子づくり
和菓子づくり
和菓子づくり
和菓子づくり

  京都上京区北野上七軒にある「老松」での京菓子づくり。京菓子とは、有職故実に拠る儀式典礼に用いる菓子、または茶道に用いる菓子とのこと。

  まず職人は絵を描く。そして菓名をつける。抽象的な方がレベルが高く、からごろもが究極だそうだ。また、和菓子は、レシピ通りでなく、その日の天候や周りの様子も勘案してその日にあったものを作るそうだ。

  さて、材料は、棒状の白あん、黄色と焦げ茶色の生地、さらに模様に使う赤と白の生地を少々。白あんは5等分し、黄色と焦げ茶の生地はそれぞれ3等分と2等分。生地は乾燥しやすいということでビニールをかける。また、手に適度な湿り気を持たせ、作業しやすいようにボールには水が入っている。写真は二人分。

 最初に作るのは、葉っぱのお菓子。黄色の生地を少し楕円形にして、その上に赤の生地を乗せて、平たくする。葉脈をへらで描き、白あんを葉っぱの生地で包んでできあがり。

 次は菊の花。黄色の生地を丸く平に広げ、その上に白あんをおいて、小龍包のように包みこむ。てっぺんには赤い生地を丸めてのせる。菊の花びらを、先生は手際よくへらを押し当てるようにして書き込むが、私は上手くいかず線を引く感じ。

  次は、栗。焦げ茶の生地を栗の形にし、その中に白あんを入れて包み込み、お尻の方に白の生地を着けて雰囲気を出す。

  後は自分の好きなものを御自由にと言われ、はたと困る。お昼に松茸御飯を食べたことを思い出し、椎茸風の茸を作ることとする。焦げ茶の生地で茸のかさを作り、その内側に黄色の生地を塗ってへらでヒラヒラを描く。かさに赤い生地を斑点状にのせて独自性を出し、白あんで茸の茎を作る。毒キノコのように見え、家に持ち帰っても、最後迄これが残り、私が口にできるという算段。

  最後は、抽象的なものの方がレベルが高いとの話しが頭に浮かび、何も考えずに作る。何を作ったかわからないが、それもまたいい。

 約1時間で講習は終り。お抹茶を自分でこしらえた和菓子でいただき、残りは老松の菓子箱におさめて、保冷剤を箱にのせ、さらにお店の紙袋に入れて持ち帰る。自分で作ったものが高級和菓子扱いされている様で気分はいい。一人分、税別で2500円なり。店から講習所までが純和風が雰囲気があって良かったし、流石に、食べ物を扱う店だけあって、講習所に入る前に2種類の石鹸で手を洗い、作り始める前には手をアルコール消毒。いい勉強になった。

2007年10月28日 (日)

京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)

京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)
京都旅行(重文、京都府庁旧館一般公開)

  釜座通の先にある、威厳のあるレトロな建物、それが京都府庁旧館。国の重要文化財に指定されている。 秋の一般公開ということで、10月20日から11月4日まで自由に見学できる(午前9時から午後5時(水、金、土曜日は午後8時)まで)。

  期間中、展示開始日は一様ではないが、源氏物語関連展示、彫刻展、府の現代の名工作品展、アイデアポスト作品展、田中幸子の野菜のぬいぐるみ展などが、2階の各部屋を中心に開催される。

  正面玄関でパンフを受け取り、3連アーチ越しに中央階段がある。階段は京都白川の花崗岩を用い、手摺りには草花の装飾をほどこした大理石が使用されているという。中庭を臨む北面には大きなガラス窓が取り付けられ、吹き抜けの空間はとても明るい。中庭を囲んで廊下が四角に回廊状に通じており、部屋は廊下の外に配されている。

  中央階段から2階に上がり、知事の旧執務室、源氏物語関連展示、ぬいぐるみ展等を見て回った。

  帰りには、入る時に付近の地理案内と旧館の一般公開を教えてくれた守衛さんに礼をいうと、新撰組の京都守護職がここにあったことを示す石碑を見せてくれ、さらに手招きに従って守衛室の後方に行くと大きな四角い石がある。見てみると京都慶應義塾跡の文字。後ろに回って見ると、京都府知事の要請を受けて、福澤諭吉先生が明治7年に慶應義塾を開いたとある。わずか一年の開塾ではあったが、慶應義塾大学のルーツに京都で出会おうとは。なんか、得した気分。

 やはり、流石に京都は国際観光都市。街全体にホスピタリティーがある。守衛さんにお礼を述べ、楽しい気分で、京都御苑に向かう。

2007年10月26日 (金)

京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)

京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)
京都旅行(伏見の酒蔵、大倉酒造)

  清酒「月桂冠」でお馴染みの京都の伏見にある、月桂冠大倉記念館に行ってきました。福井県出身の係の男性から、記念館を案内していただいた。

  最盛期には全国から10人の杜氏が働いており、10月中旬から翌年の3月下旬もしくは4月上旬までの約6か月間、酒蔵で朝、昼、晩、酒づくりをしたそうです。 福井からも杜氏のほか、季節従業員ということで主に奥越から最盛期には約三百人仕事に来ていたとのこと。へ〜ぇ、すご〜い!

  さて、失敗しない甘酒の作り方も聞いちゃった。酒粕を使わずに、麹を使ってご飯粒を少々入れるとのこと。江戸時代には元気のない人には甘酒を飲ませた。それは甘酒にはぶどう糖が沢山含まれており、現代のお医者さんが患者にぶどう糖の注射をするのと同じ理屈とのこと。へ〜ぇ!

  原酒はアルコール度数15度でそのまま飲むと強く当たるが、市場に出す時には、二割水を加えて加熱処理して出すとのこと。再び、へ〜ぇ!

  記念館の展示を見たあとは、展示室の外のカウンターの前で試飲。少し甘めの普通の清酒、少し辛めですっきりした吟醸酒、最後はワインのようなフルーティさが軽く漂う清酒、どれも美味しい。普通であれば、お酒を買って帰るのだが、今宵は友と京のまちで一献傾け、翌日は一日中散策の予定のため、奈良漬けを購入するにとどめた。奈良漬けは掛値なしに美味い。後日、何故、もっと買って帰らなかったのかと家で詰問される始末。しまった〜。

  さて、月桂冠の歴史は、1637年の酒銘「玉の泉」に遡る。勝利と栄光のシンボル「月桂冠」の酒銘を採用したのが1905年だそうだ。創業370年の歴史と伝統を感じた。 現在は、最盛期の昭和50年代の出荷量の半分だそうだ。

 酒は文化、日本の風土の中で生まれ、育まれ、受け継がれてきた日本酒。夜は、日本人としてのDNAが騒いで、一次会はビール、ワイン、焼酎だったが、二次会は清酒一本で決めた。

  この記念館、入館料金が300円とはまことにお値打ち。 辺り一帯が伏見の酒蔵街のいい雰囲気、思い出に残る旅の1ページとなった。

2007年10月24日 (水)

気ままにWALK81(京都編3)

気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
気ままにWALK81(京都編3)
   21日、秋晴れの日中、京都街なかウォーキング。 新島襄の旧邸で30分程度見学したあと、向かうは平安神宮。

  寺町通を南下し、丸太町通に入ったところで道なりに東進する。鴨川の水は綺麗で澄んでおり、川原の公園では多くの人が出ている。ある人は遊び、ある人はくつろぎ、またある人は語らい、ある人はスポーツにと、なんとも楽しそうで、幸せそうだ。

  鴨川を渡ってさらに東進すると、左手に熊野神社。さらに進んで右側が平安神宮。岡崎通から回って平安神宮に入っていく。朱塗りの大鳥居、応天門、大極殿は、優雅でかつスケールが大きく、感心感心。うん十年前の修学旅行の頃を思い出す。他の観光地と異なり、特に中国人、そして韓国人が多いように思う。

  さて神宮の南、京都会館の東の公園では、大勢の人が集まり、ステージ発表、平和の訴え、自然農法産食材で作った料理の即売等をしているようだった。 そこから神宮通を南下する。途中、京都市美術館が左手に見える。

 さらに南下し三条通を通過し、小高い岡に入って行く感じ。右側に商店や民家群、左側が寺院群。 まず現れたのが天台宗三門跡寺院の一つ、青蓮院門跡。門跡とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことだそうだ。境内には大きな楠木もある静かなところだ。

   次が浄土宗総本山の知恩院。木造の門としては世界最大級の三門をくぐり、急峻な石段を登って大きな御影堂、方丈庭園、山亭庭園、友禅苑等を見学。

 神宮通に戻って南下し、次は円山公園。なだらかな丘陵地帯に池泉回遊式庭園が広がり、枝垂れ桜が多く植えられている。園内奥の方には茶店や料亭が点在し、その手前に坂本龍馬と中岡慎太郎の像が置かれている。

  公園の右側上部から大谷祖廟に向かい、親鸞上人が祭られている大谷御廟でお焼香をする。その次が高台寺。北政所が秀吉を弔うために建てた菩提寺だ。青蓮院門跡から高台寺までは、神宮通やねねの道からいずれも東に登って行く必要があり、結構な疲労を感じるようになった。ねねの道や八坂通には人力車が多く走っており、乗りたくなるが、カツプルばかりで、おじさんの自分が乗っている姿を想像して、断念。

  それから八坂の塔を見ながら八坂通を下る。東大路通に出るが、流石に京都駅まで歩く元気はなく、今日のウォーキングはジ・エンド。時刻は15時半。新島襄旧宅を出発して150分で、歩数は13000歩。

2007年10月23日 (火)

気ままにWALK80(京都編2)

気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)
気ままにWALK80(京都編2)

   21日、秋晴れの日中、京都街なかウォーキング。 ホテルをチェックアウトし、午前11時出発。 朝、京都御苑に行った時に蛤御門の変で有名なその門を見忘れたのが悔しく、再度のチャレンジ。

   西洞院通を北上。丸太町通に交差して東にやや進むと釜座通があり、左奥に威厳のあるレトロな建物が見えてきた。近寄って見ると、京都府庁。道が間違っていないか守衛の人に尋ねると、親切に説明してくれ、「府庁旧館が一般公開されているんでどうですか」と誘ってくれた。正面から入って、パンフを貰う。なんと旧館は重要文化財。知事の旧執務室等を見て目的地の京都御苑に向かう。

    下立売通を東に向かい少し進むと目的地が見える。御苑沿いの烏丸通を北上すると、左側に和気清麻呂を祭神とする護王神社。外壁に物語の絵が飾られ賑やかな感じ。

    そこから、少し北上すると蛤御門。中に入って少し東進すると、清水谷の椋の大木。樹齢300年を越えるという。前方には、22日の時代祭の準備が着々と進められている。

    さらに東進して清和院御門から外に出て寺町通を南下すると新島襄の旧邸前に至る。表に一般公開中とあり、受付で氏名、居住県名を書いて中を見学する。見学を終えて時刻は12時半。出発して90分で、歩数は10000歩。

2007年10月22日 (月)

京都旅行(昼食・き乃ゑ)

京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)
京都旅行(昼食・き乃ゑ)

Pa0_0360

   20日の昼食は、京都祇園毘沙門町の「き乃ゑ」。純和風の料理旅館で、非常にいい感じ。

 

    Pa0_0364_2まず、最初に出てきたのは、新米の米蒸し(ふかし)。稲穂のまま蒸してあり、情緒は格別。同じ皿に載っているのは、可愛い秋刀魚寿司とこんにゃくの中に秋刀魚?を入れた甘露煮ほかと、別の器には胡麻豆腐。

   次に出てきたのは、鮪とコリコリした鯛のさしみ、さらにはカラットあがった天ぷら。塩をつけて食べるのが美味しい。

   次は、松茸と餅米の団子?の入ったお吸い物。酔いも手伝って団子かどうかも覚つかない。

              次は、白身魚のつみれとかぶの煮物。Pa0_0363

  その次は、茶碗蒸し。さらにお新香と松茸御飯にお味噌汁。

   締めは、デザート。抹茶味の甘味を抑えたプリン?に薄く切った甘い梨を載せ、さらにその上に葡萄。プリンが豆腐のような感じが面白い。たまらない美味しさで大満足。Pa0_0361_5

      コースは昼懐石でお値段は6000円。当然、写真に写っているビールは別。