「越前豊原古道散策ツアー」打ち合わせ


今朝はいい天気。福井駅を出て晴れの日ウォーキング(西方面)に出発。歩きながら、昨日開かれた11月4日実施の越前豊原古道散策ツアーの打合せを回想する。
散策ツアーの実施に向け、のうねの郷づくり推進協議会、同ふるさと部会、福井県坂井農林総合事務所林業部、豊原友の会、豊原史跡保存会の打ち合わせ、いわゆる実行委員会というべきものが昨日午後7時から長畝公民館憩いの間で開催された。
役割分担、コース、スケジュール等の詳細について、皆で考えながらで決めていく。県フットパス事業と併せての初めての事業であり、試行錯誤状態。何でも最初は産みの苦しみを伴うもの。
途中、現在地に移される前の丸岡城は何処にあったかとの議論。一方は、丸岡城が元は西方院跡に城を構えていた。これは華蔵院から見て西方にある城と言うことで、西の宮城が位置的に妥当する。また、昭和54年の発掘調査で三上山城山?を調べたが、遺跡は見つからなかったとのこと。他方は、元の丸岡城は三上山城山にあったと、豊原の住人の間では伝承されてきており、文献にもそのような記載があるとのこと。
城の位置について、決定打がないというのは逆に面白い。雨乞い山も含めて3つの城があったとの言い伝えがあり、今後解明に向けて自分なりに考えをめぐらせて行くのも一興だ。「逆説の日本史」ではないが、史料がないから事実はなかったといった、資料至上主義の考え方は、時として真実から目を背けることにはならないかと思う。いろんなものを考証していく必要がある。
そうこう考えているうちに、今日のウォーキングルートから少し離れた「橋本左内の生誕地」に足が向いてしまった。「啓発録」石碑を見ながら、いづれもピッタリ当てはまるものはないが、あえて関係するものを選ぶとすると、「志を立てる」か。目標をしっかりと立て、こつこつ努力していく。このことが、真実の追究にも重要ではないだろうか。分かったような分からないようなことを考えながら、左内が産湯を使ったとの井戸を見る。
打合せで決まったことは、27日までに各人の名前が入った役割分担表を作成し、各人の当日の役割を明確にする。27日午前8時半から案内表示板の設営とベンチの作成をし、11月3日8時半からは、テント設営、のぼり旗設置、コース完成の確認を経てリハーサルの段取りとなった。11月4日当日、関係者は7時公民館集合で、雨の場合の開催の可否は会長とふれあい部会が6時半までに決定するということ。また、当日は癒し効果の測定もするとのこと。どんな結果が出るか楽しみだ。
まだまだやることは沢山あり、ふるさと部会や事務局は大変だが、「志を立て」「学に勉める」ことも必要だ。「ここは《のうねの郷づくり》ブートキャンプ。絶対に諦めるな。」、「《のうねの郷づくり》ブートキャンプは、人生を変える場所だ。」、「すべては結果のため。効果を得るには努力が必要だ。」、「効果は確実。自分自身を変えられる」などのビリーの叱咤激励の『替え弁』が頭に浮かぶ。
そうこう考えているうち、職場に着いてしまった。物事を考えながら歩くのは、存外楽ちんだ。あっという間の40分、歩数は約4800歩。

































